なぜ私は治療家になったのか? 

こんにちは、上原です。

私は、子供の頃から
怪我ばかりしておりました。

保育園時代からわんぱくで、
遊びまわってました。

小学校に入りバクテンを
練習してしょちゅう首から
地面に落ちてました。

いくら小学生とはいえ、
激痛でした(大汗)

既に当時からムチ打ち状態に
なっていたのだと思います。

中学校一年生で始めて
ぎっくり腰を発症致しました。

その時の事は今でも
覚えております。

小学生時代から近所の
整骨院には入りびたりの状態でした。

足首の捻挫等
何度したかわかりません。

今でも、右足はその
後遺症が残っております。

そんなこんなの無茶がたたり
高校生では、痛いところだらけでした。

中学時代にやっていた
空手も良くなかったと思います。

道場では、約束組み手しか
なかったので、

練習後友達と公園で
戦ってました。

最初は軽くやるけど
最終的には顔面パンチ以外
何でもありでした。

当然、足で顔面けられたり
した事もあります。

それらもかなり体の負担に
なっていたと思います。

それで、子供の頃から
治療を受けるベテランでした。

中学時代には、自由診療の
整体などに通っておりました。

それらが、治療家になる
きっかけだと思います。

子供心にも、

痛いところ治してくれる
先生は凄い!

と思っておりました。

治療家に憧れていた
のだと思います。

その後のエピソードは、
母親のところで先日ブログアップ
しております。

治療院等も、評判の良いところは
即行きました。

そして、

あそこは凄い
ここは駄目

とわかるように
なってきてました。

ですので、患者歴含めれば、
私の人生は殆ど治療家に
なる為の物です。

今思えば、子供の頃
怪我ばかりして良かったと思います!

恥ずかしながら3年前も
階段から落ち顔面8針縫う
大怪我をしてます。

その時は、辛かったです。

極度のむち打ちから、
最終的には頚椎ヘルニアも
発症致しました。

私は、馬鹿すぎなので
自分の体だから理論と
逆にやったらどうなるだろう

と言うことを人体実験
しております。

頚椎ヘルニアになった時は、
一番初期モデルのアクチベーターで

第2頚椎を50~100回位
かなり強いテンションで連打しました。

別にどうって事ないなぁ~
と思っていたらいきなり
腕が痺れました。

その逆から更に連打したら、
治るかなぁ~と思い実行しました。

より一層酷くなりました。

当時は、私より酷い患者様
いないんじゃないか

と思うほどでした。

壊すのは一瞬で、
治るのには3ヶ月ぐらいかかりました。

物凄くいい経験が出来ました。

やっぱり、私の患者様指導は
最高だと実感致しました!

てか、馬鹿すぎですよね(大汗)

御精読ありがとうございます。
感謝致します。

DRTは、今も常に進歩している
施術法です。

DRTを御使い頂いている先生方の
更なるご発展を祈念致します。

先生がたも私と一緒に頑張り続けましょう!

上原宏

追伸

先日公開した

DRT月間オンライン6月号
の内容はいかがでしたか?

ぎっくり腰の新しい指標
是非使ってみてくださいね。

6月はもう一本
アドバンスセミナーで
指導した

めまいの指標を公開予定です。

アドバンスセミナーの当日の
早朝に地家さんに参加者の先生から

電話がありました。

「めまいの症状が酷くて
 今日行かれないかもしれないんです」

という相談でした。

地家さんは

「DRTセミナーですから
 DRTをたくさん受けることで
 症状が治るのではないでしょうか?」

と御提案してみたところ

その先生は
頑張って参加されました。

そして・・・

セミナーが始まって
私がその先生を
公開施術をしました。

そこで公開したのが
めまいの指標です。

めまいの指標、三大指標
そしてビフォーアフターまで
全てお見せいたします。

こちらも準備が出来次第
配信予定です。

こうご期待下さい。

まだ月間DRTオンラインに入っていない
先生は、こうした貴重な映像を
ご覧頂くことができません。

6月中に御参加頂ければ
6月公開の映像もご覧頂けます。

御参加されたい先生は
こちらから詳細を御確認
下さい。

↓↓↓

http://drt-uehara.com/monthly/

上原 宏(上原 宏)

昭和60年 按摩マッサージ指圧師免許所得(国家免許証番号第28480号)1986年開業。過去の患者数のべ13万人を超える臨床経験。治療家を目指した当初から上部頸椎カイロプラクティックをアメリカのシャーマン大学で本来なら4年かかるところを特別に半年間集中プログラムを受講することができ修了証も授与される上部頸椎治療の第一人者。