私の”治療家としての自信”の原点は…
こんにちは、上原です。
近年日本は少子化が進み、
どんどん年配の方の人口が
多くなってきていますね。
その中でも多い症状の中に
認知症があります。
既存の医学でも
まだ分からない事が多い
症状でもあります。
それを
「DRTで特定の指標がございます!」
と言うのも怪しいと思います(微笑)
認知症等は脳に何らかの問題が
起きているという事は
先生方もお分かりだと思います。
原因がはっきりと分からない症状が
まだまだ世の中にはあります。
しかし治療家である限り
治療が難しい患者さんが
いらっしゃった時も
症状と向き合わなければ
なりません。
本日は、私の過去の話とともに
「治療家としての自信をつけた経緯」を
お伝えしていきたいと思います。
実は私の母親は、
ALS(筋萎縮性側索硬化症)という
病を抱えていました。
私が、20歳ぐらいの時から
発症し30年弱生きました。
当時、30年も生きるのは
珍しいと言われました。
家族(特に私の妹)の
手厚い介護が
あったからだと思います。
私が、開業当初
母親の病名が特定された時、
自分の治療院で
わんわん泣いていたのを
昨日の事のように思い出します。
当初の私は、
「背骨で全ての病気が治る!」と
思っておりました。
それが、
全く太刀打ちできない状態でした。
最終的には、
自分で呼吸が出来なくなり
お亡くなりになります
と、医者から言われておりました。
亡母も、それを望んでおりました。
気管切開をして
人工呼吸器を付けてまで
生きていたくないと言ってました。
ある時、妹から電話があり
母が救急車で運ばれたとのことでした。
仕事後すぐに
母のいる病院に駆けつけました。
その時母は、既に気管切開して
人工呼吸器が付いていたのです。
私は、何も
母親から聞いていなかったので
「あれっ?
その手術しないのでは?」
と尋ねると、
呼吸できなくて
死にそうだったそうです。
その時の息をして
喜んでいる母の顔は
今でも鮮明に憶えております。
めちゃくちゃ嬉しそうでした(喜)
それから母の介護は
自宅で行いました。
当時はよく
DRTクレニアルを
やってあげました。
物凄く喜んでいました。
まだ、仰向けのDRTは
開発していなかったので、
もし、あの時やってあげてれば、
とても喜んでくれていたはずです。
母の病名が診断される前
有名治療院にも行かせたことも
ありました。
しかし最終的には、
断然私の治療の方が楽になるし
嬉しいと言われました。
これが私の治療家としての
自信にも繋がっています。
人間は先に生まれてきた人が
先に亡くなるシステムなのです。
一概にそうとも言えませんが、
それが自然だと思います。
私は、母親から
色々な事を聞きました。
母は沢山の事を
教えてくれました。
今の私があるのは、
間違いなく母親のお陰です。
苦しい時辛い時は、
母親に感謝しております。
若いころはよく、
「苦労は買ってでもしろ!」
と言われました。
中高時代ひねくれていた私は、
「じゃ~俺の苦労売ってやる!」
と、返しておりました。
なので母親は
そんな病気になったのだと
思った事もありました。
でも今は全てが
必然だったと思っております!!!
御精読ありがとうございます。
感謝致します。
DRTは、今も常に
進歩している施術法です。
DRTを御使い頂いている先生方の
更なるご発展を祈念致します。
先生がたも私と一緒に頑張り続けましょう!
上原宏
追伸
不安になった時、その原点に
立ち返ることで自信が蘇る・・・
先生の治療家としての自信の
原点は何ですか?
亡き母が一番気持ち良いと
言ってくれた・・・
それがDRTの原点でした。
でもDRTは気持ちいいだけ
ではありません。
DRTの治療効果が高いのは
当たり前。
大切なのは
治療の価値を伝えるスキルです。
それが成功している人と
していない人の差だからです。
じゃあどうやってスキルを
磨けばいいの?
ご安心下さい。その方法は全て
ここに詰まっています。
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http://drt-uehara.com/online/
上原 宏(上原 宏)
昭和60年 按摩マッサージ指圧師免許所得(国家免許証番号第28480号)1986年開業。過去の患者数のべ13万人を超える臨床経験。治療家を目指した当初から上部頸椎カイロプラクティックをアメリカのシャーマン大学で本来なら4年かかるところを特別に半年間集中プログラムを受講することができ修了証も授与される上部頸椎治療の第一人者。
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